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前回の続きです。

まったく冴えない中高生を過ぎ、

ちょうど二十歳ぐらいの時だったと思います。

私は敏感肌、プラス ニキビ肌でずっと悩んでいました。

街を歩けば、美容部員さんに呼び止められたことも

何回もあります。

「あなたこの肌どうにかしなきゃ!」

と言われ、お店に連れて行かれ

化粧品のセットを買ってしまうという経験も

数回ありました。

ですが、なかなか肌は改善されず、

自分でも気にしていた時なんですが


母に撃沈される一言を言われました。


「あなたみたいに汚い肌の子見たことないわ!」


と言われました。


とても自分のお母さんの言葉と思えませんでした。


その衝撃的な一言がきっかけとなって


私は美容に興味を持ち、自分の肌の改善へと

向かっていくのでした。


子供の頃から占い好きの私ですが、私の姉が

名前に詳しくて、私のことをすごく心配してくれていました。


早く結婚せんとあんたは危ないからって言ってました。

私も健康になりたいのと、今の自分から変わりたい


との思いもあり、早く結婚しようと思っていました。


ちょうどその頃法事があり、父が仕事のつ都合で行けないので

代わりに行ってくれないかということで、祖母の法事に


行きました。


そして今の旦那さんと出会い結婚することになるのですが


たまたま旦那さんも旦那さんのお父さんの代理で来ていました。


祖母の法事だったので祖母が会わせてくれたのかなぁと


思いました。




その後結婚してから、仕事を辞め専業主婦をしていました。


そんな時に訪問販売で化粧品のセールスの方が来て


その人の肌がすごくきれいだったのでびっくりしたのです。


そしてそれから私の肌がメキメキときれいになっていきました。


毎日マッサージをして定期的にパックをして、

2週間に一度エステに通いました。


3ヶ月もすると見違えるようにきれいになっていました。


久しぶりに実家に帰った時に妹や母もびっくりして


「綺麗になったねぇ」

と顔をじっくり見て言われました。


その頃、まわりの人からも言われていたのでとても


嬉しかったのを覚えています。


生まれたから


綺麗ねなんて言われたことなかったので・・・・・笑



久しぶりに会った人にも、綺麗になったねと言われ


自分の人生がぱぁっと明るくなったような気がしました。


でもきっかけは母の言葉だったんだなぁと後で気がつきました。



その後私は、自分自身がエステをする人になりました。


家を建てて引越しをしたので、

美容の仕事は7年ぐらいで辞めました。


そこから私は健康への関心が深まっていったのです。


家を建てたのは主人が長男で両親と同居するためで

二世帯住宅でした。


主人の両親は山の中、高原に住んでいたので

ほんとにすごく田舎で今ではもう考えられません。



引越しをしてから、体調が悪く、疲れから

腎盂炎になったり、アレルギー性気管支喘息に

なって苦しむこととなりました。


引越しが悪かったのかと母は心配していました。


喘息になってしまい、夜が眠れないことがよくありました。


大人になってからの喘息は治らないと聞いていましたが


病院に行っても対処療法で、発作止めの薬をくれるだけで


病院に行っても病気は治らないことを感じました。



もうこうなったら体質改善して自分で治すしかないと思い、


娘もアレルギー2世で病気ばかりしていたので


医学博士のの本とか、民間療法の本、色々読みまくって


いいと言われりことを片っ端からやってみました。


3年ぐらいかかりましたが、喘息は完治しました。



しばらくして、その病院に行った時に

看護婦さんに


「病院変えられたんですか?」


と言われたので


「治りました」

と私が答えると、

えっ とびっくりした顔で私をじっと見ていました。


どこに行くにも発作止めがなくては心配で出かけられなかった


私は完治したことが嬉しくて仕方ありませんでした。


でももともとアレルギー体質だったので花粉症は


その時には治っていませんでした。



花粉症を脱出したのは、もっと先になりました。


今では、私子供の頃病気がちだったのと言っても


だれも信じてくれないぐらい健康になりました。


克服したのは、他にも原因不明と言われた、偏頭痛に


十代の頃からの腰痛、冷え性、肩こり などです。

小学校の時に母に

「あなたは更年期の人みたいだね」

と言われたこともあります。


その時は意味がわかりませんでしたけど・・・笑



その後どんどん元気になって行く私でした。

お姑さんにも結婚したばかりの頃は

高熱を出して、

さんざん迷惑もかけましたが


「あんた、だんだん元気になるねぇ」


と言われました。





ちょうどその頃 栄養委員になる人がいなくて

義母に

「困っとるからあんたやってあげたら」

言われ、引き受けることにしました。



栄養委員さんは町の仕事で、2年間 勉強させてもらって


2年間 奉仕をします。


主には保健婦さんと、栄養士さんのお手伝いで

町の乳幼児の検診の時におやつを作ったり

紙芝居を作って読んだり、町のイベントに参加したり

独居老人の方にお弁当を作って配ったりしました。



その頃町の保育園で働いていたので、栄養委員で

抜けてもいいと園長先生に言ってもらえたので引き受けました。


保育園での仕事は園児の給食とおやつを作る仕事です。

私は0歳児の離乳食も担当していました。


おやつは全部手作りで、作りたいものを作らせてくれたので

楽しかったし、なにより自分の子供の様子が見れるのが

うれしかったです。


遠足は3歳未満の子のお守りでしたがなつかれて

可愛くて楽しい仕事でした。





その2年後私に思わぬ転機が訪れるのでした。


次回に続く