436f267637787619b422438cc2c0ae44_s


今日からしばらく私のことを書いていきたいと思います。


私は3人姉妹の真ん中で雪の降る日に生まれました。

父も母も男の子が産まれると信じ込んでいて

私が女の子でとてもがっかりしたそうです。

その話は何回も聞かされました。



私は子供の時は、ひとり遊びが好きで家でお人形遊びを

したり、絵を書いたり、本読んだりするのが好きな

大人しい女の子でした。

友達と遊ぶのが嫌いなわけではないけれど、

誘われれば遊ぶという受け身な子でした。

幼稚園の年長さんの時には、

先生に

「外で遊びなさい。」と言われ、

私は絵本を読んでいたいのにと心の中で思っていました。


でも先生が強く言うので仕方なく

外に出て、誰もいない砂場で一人で遊ぶ


というような問題児でした。


母は、いつも先生に呼ばれ私のことで悩んでました。

私は一人で遊ぶのが好きで楽しいのに周りの人は


わかってくれませんでした。



幼稚園の先生で一人だけ私のことをわかってくれる

優しい先生がいましたが、


私が卒園して、小学校に通うことをとても心配してくれていました。


その先生の優しい眼差しは今でもとても心に残っています。


小学校1年生になり、学校に通う時にその幼稚園の前

を通っていくので、時々先生が

「のぶちゃん、頑張って行ってるの?」

と優しく話しかけてくれていました。


小学校に入って1年生の時の担任の先生は女の先生でしたが

とてもきつい厳しい先生でした。

またまた母は呼び出され先生に言われました。


「この子はちょっとおかしいです。人の前で話ができません。


 テストはできるのに人の前で話せないのはおかしいです。」


私の前で母に言っていました。

母はとても悩んで習い事を色々させて人の前に

出ることをさせようといました。


ピアノを習わせて、発表会で演奏する。

コンクールに出たりもしました。


でも性格は変わるものではありません。


それに加えて病気がちで、授業中よく熱を出して

母によく迎えに来てもらっていました。


熱が高くても辛いことを担任の先生にも言えず

休み時間になるまで我慢して

顔が真っ赤で周りの人が気づいてくれるまで保健室にも

いけないでいまいした。


その時の小学2年生の時だったのですが、

担任の先生が、とても優しい先生で、


調子が悪かったのね。気づいてあげられなくてゴメンネと

言ってくれました。

そのことがとてもうれしくて幸せな気持ちになったことを

とても強く覚えています。



母は健康で病気がちな私のことが理解できず


なんでこの子は病気ばっかりするの


と愚痴を言っていたのをよく覚えています。




なにか栄養がたりないのかしらとプロテインなど

色々な健康食品などを食べさせたりしてくれました。


母は私のことが理解できず、悩んでいました。




小学3年生の時に母に言われた一言が一番辛かったです。


それは 母が私がおなかにいることがわかった時に

おろそうかと思った

ということを言われたことでした。



私はそのことがショックで、


人生ってなんだろう、なんで生まれてきたんだろう

ということを、ずっと考えてきた気がします。



母はきっとなにげなく言ったことで覚えていないと


思いますが、私にとってはとても衝撃的で

ずっと忘れられない言葉になっていました。


そのころから占いにはまっていき

どんどん自分の前世はなんだろうとか

本気で白魔女になりたいなどど考える

妄想少女となっていきました。


西洋占星術、姓名判断、人相学など色々興味を

持ちました。


姓名判断をしてみると、最悪の内容で衝撃を受けました。

短命で両親との縁も薄く、何をやってもうまくいかない。

という結果にまたまたショックを受け、母を責めることを

してしまいました。


名前で私があまり悩むので、両親は


私のことを相談に行ってきたようです。


その結果は

この子は自分の人生を切り開いていくから大丈夫です

との結果でした。


信じらませんでしたが、そのときは納得したのを

覚えています。

その後中学生になった私がどんどん変わっていくことに

なります。




私が占いなど不思議なことにはまっていったのには

母の言葉がいつもキーになっています。

インパクトのある出来事が人生を変えていくきっかけを

作っているということです。

考えてみるとあの一言が原因で自分が変わっていった


などということが後になってわかるということがありませんか?


私の健康と美しさへのあこがれは小さい頃からの思いでした。






次回に続きます(^O^)